…鬼祓い…
「鬼は外〜♪ 福は内〜♪」
夜叉の森の村々から子供達の元気な元気な掛け声が響いた。
今日は2月3日。節分だ。
節分は、各季節の始まりの日の前日のことを差し、「季節を分ける」ことをも意味している。
季節の分かれ目、特に1年の始まりとされる春を迎える節目に邪を祓う為の儀式として、夜叉の森でも豆まきの行事が行われる。
無論、鬼役となるのは、四神の守人。
俗世のような可愛らしい鬼の面ではなく、木彫りの恐ろしい形相をした面と猛々しい雰囲気の装束を身に付け村へ出向く。
村人や子供達を威嚇しながら、人々の邪を祓い、そして鬼祓いの豆を一身に受けながら、村の災いを祓う手助けをするのだ。
行事を楽しんでいる子供達の様子を見ながら、面の下に隠された笑顔を見破られないように、夜叉は鬼払いの儀式を遂行した。
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「ぷっはああぁ〜!この装束重いでしゅ!!」
阿修羅の屋敷に戻った四神の守り人達。
面を取りながら、誰もがその場へと座り込んだ。
「そなた達、ご苦労であったな」
笑顔を浮かべ労いの言葉を掛ける琥珀に、四人も笑みを湛えて応える。
「琥珀様、今年も無事に鬼祓いの儀式を終えました。
きっと良い年になるでしょう」
天馬がにこやかにそう言った傍らで、鳴雷が溜め息を零す。
「ま、魔物がでるのは仕方ないにしても、病や天災には見舞われないと良いな。
それにしても、毎年毎年、子供達は手加減しねぇよな…
装束から出てる足とか首とか狙ってきやがる
毎年これが終わると、豆をぶつけられたところがあっちこっち痛くてかなわねぇよ」
「まぁ、そう言うな。
これも我らの大事な役目なのだから」
夜叉が宥めるのをチラッと横目で見ながら、鳴雷はまた溜め息を漏らした。
「夜叉…お前だって、結構肌の色変わってんぞ?
お前、血色悪いから、こういう時は覿面だよなぁ」
ふと自分の手首に目をやると、ほんの少しだがヒリッとした感触を感じた。
「そうか?
明日になれば治まるだろうから、それまでの辛抱だ」
「ふふんっ!
夜叉様はね、鳴雷みたいに愚痴愚痴しないんでしゅよ〜!
常に冷静沈着!大人の男でしゅから!」
「瑠璃、お前が偉そうに言うなよ」
「いいんでしゅ♪ アタシの夜叉様なんでしゅからぁ」
腕に絡み付こうとする瑠璃を引っぺがし、顔色ひとつ変えぬまま一言「帰るぞ」とだけ夜叉は言った。
夜叉はこういった公式の行事で、あまり怒ったり愚痴を言う事は無い。
そう。
公式の行事では…だ。
問題はこの後、館に戻ってからになる…
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「お疲れ様でしたぁ
汗もかいたし先にお風呂してくだしゃいね♪
あっちこっちひりひりでしょうから、お風呂はちょっと温めにしてありましゅ♪
お風呂終えたら、お手当てしてあげましゅから」
「あぁ… では先に風呂を頂くか…」
「あいっ♪
アタシはその間にご飯の支度しましゅねぇ
今日はスペシャルメニューでしゅ!」
「それは楽しみだな…」
ざっと汗を流し、湯船に浸かると、かすかに首や手足にキリッとした痛みを感じた。
「なるほど…鳴雷はこれを嫌がっていたのだな?」
夜叉は人間ではないため、傷の治癒力なども比較的高い。
だから、きっと同じ状況においても鳴雷程辛くは無いのだろう。
それに入浴後瑠璃の手当て…言葉通り手を当てるだけなのだが、彼女の送る癒しの気で、ダメージは殆ど無くなる。
毎年のことなのだから、ある程度の予測はつくが
それがまた鳴雷の杞憂を誘うのだろうな…
早く、鳴雷も癒しを請える妻を娶ればいいのに…
そんなことを考えながら、夜叉は目を瞑って温もりに身を沈めた。
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「待たせたな…瑠璃…」
「お疲れ様でした♪
そりじゃ、瑠璃もひとっ風呂浴びてきましゅ!」
「そなた…
淑女が使う言葉でなかろう?」
「あ〜… すみましぇん…
すっかり鬼が板に付いちゃってて。 えへへ」
夜叉を置いて浴室へと消えた瑠璃の背を見送って、ソファーに腰掛けると、ローテーブルの上には既に冷たい水が用意されていた。
レモンの風味がかすかにする冷水をごくりと飲み干すと、ソファーに寝転がった。
「やはり、少し疲れたな…」
気持ちの良い適度な疲労感と空腹感に意識を漂わせながら、ふと良い香りがすることに気付く。
「何だ? 夕食か?」
ゆっくりと立ち上がり、ダイニングテーブルに目をやると、そこには見事な海苔巻きが積み上げられていた。
「こ、これは…?」
見た目、随分と太さがあるようだが、包丁が入れられていないようだ。
調理途中だったのだろうかと首を傾げる。
もし食べやすい大きさに切られていたら、間違いなく手を出していただろう。
「つまみ食い防止か…?」
目の前にした食べ物に、俄かに空腹感が湧く。
キッチンへ向かうと包丁とまな板を手にしてテーブルへと置き、海苔巻きをひとつ手にし、包丁を入れようとしたその瞬間…
「あ〜っ!! ダメぇ! 切ったら駄目でしゅよぉ!!!」
石鹸の香りを纏った瑠璃が慌てて駆け寄り夜叉の手を止める。
「そのように大声をだすなど…
そなたの代わりに切っておいてやろうとしただけで、別につまみ食いなどせぬ…」
「うぐ… 別にそんなこと言ってないでしゅ…
つまみ食いしたかったんでしゅね。
今日は沢山動いてるしお腹空いてましゅもんね?」
「……」
夜叉様お得意の、無言の肯定ってやつでしゅか
とりあえず、自尊心を傷付けないように説明しないとね…
瑠璃は笑みを湛えると小首をかしげるようにして言った。
「アタシの代わりにお食事の準備を手伝ってくれるなんて、瑠璃嬉しいでしゅ〜♪
夜叉様、大好きでしゅよ! ぶちゅん♪」
「や、止めぬか! このようなところで!
それに包丁を持ったままでは危ないだろう」
「くふふ。 大丈夫でしゅ♪
包丁刺さった位じゃ、夜叉様死にましぇんから」
「そういう問題ではなく…
危険なのは私ではなく…そなた…だろう」
満面の笑みを浮かべながら包丁を奪い取った瑠璃に溜め息を漏らす。
「お腹空いちゃったでしゅよね!
すぐご飯にしましゅから」
瑠璃は包丁を手にキッチンへ入ると、用意してあった料理をテーブルへと並べ始めた。
食器の音。
美味しそうな香りの漂う、碗から上がる湯気。
極当たり前に見えるその風景、その総てが夜叉の気持ちを幸せへと導く。
「お待たせしましたぁ!
用意できましたからお席へどうぞ♪」
瑠璃に促されて席に着くが、どうも椅子の方向などがいつもと違う。
「なぜ今日はこちらに?
それに、瑠璃… 用意できたとは言っても…これは…?」
夜叉の皿に取り分けられた海苔巻きは、切らずに長いままだ。
「あ〜… そっかぁ。
またも初行事?…でしたっけ?
えっと、これは恵方巻きって言って、節分会に食べる縁起の良いお料理なんでしゅよ」
「縁起もの?
そうか…それは分かった。
だがこれでは食べにくいのでは…」
首を傾げて皿を覗き込んでいる夜叉に瑠璃が続ける。
「えっとね、恵方巻きは、その年の吉兆を示す方角に向かって、そのままかぶりついて食べるんでしゅ」
「なに?」
夜叉は、最初瑠璃がまたふざけているのかと思った。
いつもそうやって夜叉を笑わせたりからかったりする。
さて、今回は真偽の程は如何ほどなのか?
そう思っている事を見透かすかのように、チラリと瑠璃が視線を馳せた。
「むぅ?
夜叉様疑ってましゅね??
んとね、恵方巻きは節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかじりするのが習わしなんでしゅよ。
具は七種。
七福神にちなんでるんでしゅ。
だから福を招く意味もあるんでしゅよ!
今年の吉の方角は庚(かのえ)の方位、えっと…」
「西南西の西寄りか…」
「そうでしゅ! さっすが夜叉様♪ よくご存知で!
そんな訳で、さぁ夜叉様!
あっち向いて願い事をしながら食べましょ〜!」
つくづく、瑠璃はこういう行事が好きなのだと思う。
私の幸せや喜びを願って、いつも色々と心を尽くしてくれる。
多少強引なところはあれど、それさえも含めて愛しく思った。
私の願い…
それは、この夜叉の森の永久の平安
そして…
「瑠璃…」
視線を上げると、瑠璃が今まさに恵方巻きパクついているところだった。
自分と夜叉の口の大きさを考えて、普通よりもやや小振りに作られたであろうそれにかぶりついてムグムグ食べている。
「そなた…」
また溜め息が漏れる。
そなた…またなのか…
最近どうにもハムスターと共に居るように感じる…
私とて分かっている…
そういう慣わしなのだろう?
だが… だがな、瑠璃…
食べるその前に、互いの願いを思い描き、そして心を通じ合わせ
そして… 永久の愛を誓い幸せを共に祈る…
そうであろう…?違うか?瑠璃…
何故… 何故なのだ…
どう考えても、ロマンチックの欠片もない儀式だ…
かぶりつくのか…?
これに…
これは本当に正式な儀式なのか?
私を謀ってはおらぬか…瑠璃…
夜叉がこめかみに手を当てて目を瞑る。
ふと視線を馳せると、瑠璃は真剣そのものだ。
どうやら、本当にこれが正式な食べ方のようだ。
私が食べねば…
誰が食べるというのだ…
夜叉は諦めたように、目の前に置かれた海苔巻きを手に取った。
口に含むと上品に味付けられた具材の味が上手く絡み合い、旨味が口一杯に広がった。
味は良い…とても美味しい
だが食べ方に難あり…だな…
その後しばらく沈黙の続いた館だった。
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無事に恵方巻きを食べ終えて、聊か満腹になりすぎた状態で、ソファーに腰掛けるとお茶を一口飲む。
「ふへ〜っ!
やっぱり、無言で一本食べきるのは大変でしゅね。
切って食べた方が味わえるし美味しいでしゅ…」
「あぁ。そうだな。
では来年からは切っ…」
「駄目でしゅ! 縁起物でしゅから!」
速攻で却下され、夜叉は来年もまた無言で数分間食べ続けるのかと溜め息を漏らした。
ふと気付くと、瑠璃が枡に一杯の煎り豆を前に、ブツブツ何かを言っている。
「何をしている…
まだ豆撒きがしたいのか?
まぁ、そなたの厄払いはいくらしてもし足りぬくらいだがな…」
「ぶ〜っ!失礼なっ!
違いましゅよ!
もう一つ節分に食べる縁起物があって…」
「まさか豆か?」
「ぴんぽーん♪ 何で分かったんでしゅか!?」
「そのようなもの…
そなたの手元を見れば一目瞭然だろう…
では頂くか…」
夜叉が手を伸ばそうとした時、それを瑠璃の手が遮った。
「ま、待ってくだしゃい!
今数えてるんでしゅから!」
「何をだ?
別にそなたよりも沢山食べようなどとは思わぬ。」
「んもぉ! 違いましゅよ!
お豆さんは歳の数だけ食べる決まりなんでしゅ!」
「何?」
歳の…数だと…?
「数え年だから…えっと…夜叉様は… 1034粒でしゅね!」
にぱっと笑って豆を数え続ける瑠璃の横顔に眩暈を覚えた夜叉だった。
そなた…
本気でそれだけ食べさせるつもりなのか…
そして… そなたは…
豆を喰らいまたハムスターになるというのか…
我が館には、鬼よりも怖い…
鬼も魔物も敵わぬ、瑠璃と言う女が住み憑いている…
END
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